平成の歌姫・浜崎あゆみさんの誕生秘話と、彼女がその時期に経験した恋愛を描いた『M 愛すべき人がいて』。
本作の原作は小説であり、ドラマ版は、原作を元にして制作されているものと思われます。
今回は、ドラマ版『M 愛すべき人がいて』の最終回の結末を予想するとともに、原作のネタバレと原作とドラマの違いについて触れていきたいと思います。
目次
M愛すべき人がいての最終回予想
ドラマ『M 愛すべき人がいて』は、少々おもしろおかしく過激な展開にはなっていますが、アユとマサが迎える結末は、小説と同じ終着となると思いますので、小説の結末を紹介したいと思います。
※この記事はネタバレを含むので、注意してくださいね。
国民的歌手へと成長したアユは、マサと一緒に過ごす時間がなくなっていきました。
アユのエネルギーの源はマサと一緒にいることなのに、マサはアユのプロデュースに夢中です。
そうして、アユとマサの気持ちは噛み合わなくなっていました。
また、マサは、大スターになったアユを持て余すようになり、ひとりの女性として見ることができなくなっていきます。
マサとアユは一緒に暮らしていましたが、マサは自宅に帰らず、お酒を飲み、他の女性と遊び回るようになりました。
マサとアユは徐々に恋人と呼べる関係ではなくなっていきましたが、歌手とプロデューサーという関係は続きます。
そのことは、二人にとってとても苦しいことでした。
マサとアユにとって、仕事上のパートナー関係も解消すべき時が近づいてきていました。
アユがマサを思って書いた最後の楽曲『M 愛すべき人がいて』が発表されます。
マサは海外に拠点を移し、アユは国民的スターとしての道をしっかりと歩み始めるのです。
M愛すべき人がいての原作との違い
ドラマ『M 愛すべき人がいて』の過激な展開を見ながら、「これ、原作通りなの?」と思った人は多いと思いますが、実際どうなのでしょうか?
ドラマと原作の違いを比較してみようと思います。
まず、アユがアイドルグループの候補生10人と一緒に合宿に参加するという場面。
この合宿のラストは、本数がバラバラの水入りペットボトルのリュックを背負っての長距離走対決で、デビューを決めるというありえない展開を迎えます。
アユは前日にライバルにケガをさせられ右肩を脱臼している上に、ペットボトルが多いリュックを引き当てるという非常に不利な状況に追い込まれるのですが、怒涛の追い上げを見せ、デビューの座を勝ち取りました。
さて、こんなことが実際アユのデビューの決め手となったのでしょうか。
原作小説の中には、アユがハードな合宿に参加するシーンは組み込まれているのですが、右肩を脱臼したり、ペットボトルが入ったリュックを背負って走らされたり…というシーンはなく、またデビューの明暗を分けるのが長距離走の順位というような描写は全くないようです。
ドラマはやはり、いろんなシーンがドラマティックに描かれているため、小説のストーリーとはかなり異なるようです。
マサのモデルとなる松浦勝人さんもドラマについて、「原作からはだいぶ離れてます」とお話しされたとのことです。
ですから原作小説とドラマは別物と考えた方が良さそうですね。
M愛すべき人がいては本当に実話?
原作小説『M 愛すべき人がいて』は、ノンフィクション作家の小松成美さんによって書かれました。
浜崎あゆみさんが書いたんじゃないんだ〜と驚いた人も多いかもしれませんね。
どうやって書かれたかと言いますと、小松成美さんが浜崎あゆみさんと松浦勝人さんにインタビューをして、それをもとにしたとのことです。
「この小説は事実に基づいたフィクション」と紹介されているので、小説に関してはほぼ実話と受け止めていいのかなと判断します。
まとめ
今回は『M 愛すべき人がいて』の原作に関する情報をお届けしました。
浜崎あゆみさんがなぜ大切な恋愛の思い出を公開してもいいと思ったのか、はたまたドラマ化に際して、なぜそれをおもしろおかしく脚色してもいいと思ったのか… わたし的にはいろいろ謎ではあります。(笑)
いずれにしても、浜崎あゆみさんの曲とともに青春を過ごしたアラサー以上の女性たちにとっては、アユは特別な存在。
今後も、『M 愛すべき人がいて』から目が離せませんね。