大谷選手は目標を達成するために、目標達成シートを作っていました。
その目標達成シート通りに行動し、目標を達成してきたと言われています。
そんな、大谷選手の目標達成シートの作り方と甲子園での成績、ドラフト時の指名球団などについてまとめてみました。
目次
大谷翔平の高校時代/甲子園の成績
大谷翔平選手の出身高校は、岩手県の花巻東高校です。
先輩には、同じくMLB(メジャーリーグ)のシアトルマリナーズで活躍する菊池雄星選手がいます。
大谷翔平選手は高校時代、甲子園に出場しています。
しかし、甲子園での成績は、わずか2試合の登板しかありません。
初めての甲子園は、2011年の夏でした。
大谷選手は2年生で、エースナンバーを背負っていました。
しかし、初戦の帝京戦で負けてしまいます。
大谷選手は先発ではなく、3番ライトで出場します。4回から登板しますが、敗戦投手となってしまいました。
翌年の2012年の春の選抜にも出場します。
花巻東高校は、優勝候補でもある大坂桐蔭と初戦で対戦することになりました。
大谷選手は5回まで大坂桐蔭を無失点に抑えましたが、8回を投げ、9失点してしまい敗戦となりました。
最後の年となる3年生の夏は、岩手県の県大会で決勝まで進むも盛岡大付属高校に敗れ、甲子園出場はなりませんでした。
甲子園での成績は悔しい結果となりましたが、大谷選手は、球速や三振数などで大物の片鱗を高校時代から発揮していたようです。
大谷翔平のドラフト指名球団
大谷翔平選手は、ドラフト以前からメジャー挑戦の意向を示していました。
当初、高校卒業と同時にメジャーへ行くことを志望していました。
しかし、北海道日本ハムファイターズは大谷選手をドラフト指名することを明言し、単独指名します。
そして、大谷選手は日本ハムファイターズの監督である栗山監督の説得などにより、日本球界に踏みとどまることを決意します。メジャー挑戦の気持ちを持ちながら、日本球界での経験を優先しました。
この時に、栗山監督は大谷選手を説得する材料として、投手と打者を両立する「二刀流」を持ちかけたと言われています。
その後、メジャーに移籍するまで日本ハムファイターズで「二刀流」として活躍を続けます。
大谷翔平の目標達成シートの作り方
大谷翔平選手は、高校1年生の時に「マンダラート」という「目標達成シート」を作成しています。
大谷選手の目標達成シートの作り方をご紹介します。
まず、最初に具体的な目標を設定します。
大谷選手の場合は、「ドラ1 8球団」という文字を「大目標」としています。
このドラフト1位を8球団から指名されるという目標を、シートの中央に書いています。
次に、その周辺に、目標を達成するための必要項目を8つ記載しています。
大谷選手で言えば、「体づくり」「コントロール」「キレ」「スピード160km」「変化球」「運」「人間性」「メンタル」の8項目となっています。
大谷翔平選手の高校生の時に作った目標達成シート。ど真ん中が目標でその周りが目標のためにすること。さらに広がってそれぞれを達成するためにやることが書いてある。なぜゴミを拾うかとの問いに「ゴミじゃなく運を拾ってるんです」は痺れますよね。来年度の仕事バージョンで作ってみたい
#大谷翔平 pic.twitter.com/VDNUddQCx3— アイムフリー (@TeacherhaGreat) 2020年3月29日
そして、そこからさらに放射状に8方向に広がるように、8つの必要項目を達成するための必要な要素を記入しています。
漠然とした目標設定ではなく、明確に目標を達成するためのプロセスを書く作り方となっています。
目の前のできることから、1つずつクリアしていくという目標を達成するための目標達成シートになっています。
まとめ
大谷翔平選手の高校時代や甲子園での成績、ドラフトなどについてまとめました。
大谷選手は、目標達成シートを作っていることでも有名です。
その目標達成シートの作り方についてもご紹介しました。
目標を達成するために、目の前のできる努力を1つ1つ積み重ねていく具体的な目標達成シートと言えるのではないでしょうか。
普通のビジネスマンや一般の人にも参考になるテンプレートではないかと思います。